アル紹介のページ



名前:アルフレド 生年月日:2004年7月
(予想)
性別:雄
アルは、11月のある日、保健所から預かってきました。兄弟六匹と母親で捨てられていたらしいです。
私はお世話になっている譲渡のサークルさんと一緒に行きました。それまで預かっていた犬の引渡しと、新しい犬を預かるためです。
その前日に、母犬と、一匹は別の譲渡サークルさんが引き出したということで、私たちが行ったときには、広い檻の中で、五匹の子犬が泣いていました。そこは「搬入口」と呼ばれる出入り口のすぐ横で、シャッターは全開。外からは寒い風がビュービュー吹き込んでいる非衛生的な場所でした。床はセメントの打ちっぱなし、しかも水でびしょぬれ。床には排泄物が残ったままでした。
私たちが行ったとき、四匹はキャンキャンなきながら、懸命に檻から私たちに訴えかけていましたが、アルだけは壁に寄りかかって覚めた眼で私たちを見定めてました。
そんなアルを、私は「根性があるやつだ」と勝手に決めて預かることにしました。
出所の日
もうこの時には耳が立って、子犬のような、そうでないような微妙な時期ですね。 歯は抜け替わっている途中だったので、多分七月ごろに生まれたのではないかという予想をしました。
アルは最初はガリガリで、骨格標本のようでした。鏡を見ると兄弟と思うのか、懸命にそちらへ行こうとします。その泣き声もかわいそうで、鏡はしばらく見せないようにしました。
そして、翌日から下痢が始まりました。
食事も口にしてくれず、色々と手を尽くしてなるべく油のないものを食べさせました。
カリカリの餌も食べてくれないので、お湯で緩くしたものを与えたり、その分与える水分を減らしたり。
一緒に引き出してきた他二匹の兄弟に虫がいたというので虫下しのクスリも併用して与え、毎日「もう駄目か」と心配でたまりませんでした。
結局下痢は三週間ほど続きました。
鏡に兄弟を見る

別のサークルさんが助け出した兄弟一匹は、死んでしまったらしいです。
子犬は、少しのことでも命取りになる。運が良かったとしか言いようがありません。

下痢の原因は、良く分かりません。兄弟にいたという虫も、アルの検査では陰性だったし。でもその時に出なかっただけなのかしら? 
風邪も引いていたし、一番は兄弟から引き離されて相当精神的ショックを受けているはずだし、そこからかも・・。
と、疑問だらけ。色々手を変え品を変えして、結局は下痢が直ったのですが、ご飯はいまも「ラム&ライス」です。

家族会議
つれてきた翌日からその話はあったのですが、旦那がアルを気に入って飼いたいと言いました。
以前から「飼うのだったらドーベルマンかシェパードのように大きいのがいいよね」と言ってはいたのですが。
アメリカから帰国して、自分たちの犬を持とうとは向こうにいたときから話していましたが、私的には「もう少し待ってもいいのでは」と言う感じ。だってカイチュが三歳になりたてでしたから。でも長女がすでに中学生。散々待たせているし、きちんと朝の散歩はしているし、と会の方に話してみることに。
会の方は今までの私たちを知っているので、「まもの家なら大型犬でも扱える」と二つ返事でオッケーを下さいました。(本当は小さい子供のいる家は×の条件になっていたのですが)
そして12月中旬、狂犬病の注射をした日にそのまま市の保健センターに行き、我が家の犬として登録をしました。飼い主は私です。

去勢の手術(1/24/2005)

一泊二日でいつものこどもの国動物病院へ。
ここの先生はとてもお上手です。術後の縫い後も綺麗でしょ。
と、写真を旦那の携帯に送ったら、同僚から変な妻だといわれたらしい。

まも、アルにしつけを考え、やめる。
大きくなったら30キロ以上なるだろうアルが、誰でも散歩に行けるようにと最低限のしつけを考えました。
で、ネットで調べて公認訓練士の資格を持っているというある人のところに見学に行ったのですが、なんと言うか、私達と価値観が合わず、やめることに。
そのときは「もう、自分たちでしつけをしよう」と話し合ったのですが・・・。
後日別のしつけ教室に通うことにします。


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